旅と日常

旅と日常

このギャップが僕を引き延ばしてくれている。

旅。飛行機、新幹線、バス、車、電車、ヒッチハイク、徒歩。

どれも今は使う。

稼ぐ距離のぶんだけ、多くの宝を拾っていると強く実感している日々。移動にかけるお金はケチらない。

お金をかけるほど、人間はアンテナを張り生命力を発揮する。エネルギーを生み出す力が確実に増していく。

現地現地の人々との最適な関わり方、距離感、関係に恵まれる流れを生み出すことができる。

お金をかけることすら、ひとつとエネルギーの種類にすぎない。

お金、時間、労力

このどれを費やしても同じ結果である。

その反面、家庭や日常、暮らしは全く違う角度から人生を色付けてくれる

同じ家に帰り

家族の場合同じ人から「おかえり」の言葉を聞き

同じ景色が続くからこそ向き合う自分がそこにいる

この2年間自分よ拠点として、広島の安佐南区の古民家を改装しシェアハウス山燈子(やまびこ) として運営して来た。

旅ができるのも、もちろん帰る家があるから。帰るつもりがないのであればそれは放浪に変わるのかも。

帰ると、そこ日常があり、自分がこれまで積み上げて来た決まりごとがある。広島という街としてみると、顔なじみがあり、人間関係がある。

動きやすさも、肩身の狭さもある。

アドリブの旅とは打って変わって、日常という毎日の小さな積み重ねが必要とされる。

ここ数ヶ月は特に

日々の日常で近くにいてくれる人とのすり合わせを意識せられる。摩擦を恐れ、近くにいる人ほど当たり障りない関係性にもっていきたくなる自分は今試されている。

人を一番輝かせる摩擦を嫌がっていた今までがもったいなく感じるほど、家族や友人(友人という言葉すら、意味を変えて僕の前に現れるようになって来た)とぶつかることを意識的に向き合いたいと思っている。

まだ自然にできない。が、向き合えている。そんな今に嬉しさも平安も覚える。それほどそこに向かっている自分が好きだ。深いど真ん中を見つめている自分が好きだ。

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